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『ワールド・オブ・ライズ』を見た。 色々と理由を付けては先送りにしてきた『ワールド・オブ・ライズ』を、やっとこさ見た。 これは、何かと他の事と比較した時に優先順位が低い物になった結果なのだが、どうしても優先順位が低くなってしまったのには理由がある。 それは『ワールド・オブ・ライズ』の内容がどうしても『スパイゲーム』を彷彿とさせてしまうのである。 そして奇しくも、『スパイゲーム』の監督は『ワールド・オブ・ライズ』の監督“リドリー・スコット”の弟、“トニー・スコット”だったりもするのだ…。 そして問題は、この『スパイゲーム』がどうにも(自分にとっては)ツマラナイ映画であった事だ。 さて、そんな悪印象が付き纏ってしまった感のある『ワールド・オブ・ライズ』なのだが、だとしても、このタイトル自体に対する興味は尽きないのだ。 なんたって、何度トレーラーを見ても“世界の危機”を訴えていながら、その危機の全容、“レオナルド・ディカプリオ”と“ラッセル・クロウ”が何と戦っているのかが見えてこない、話の着地点が見えて来ないのだ。 これではどうしたって気になってしまうに決まっているではないか。 話の着地点がどうなっているのか見たい。劇場に足を運ぶ動機はそこから。着地点が分かったところで映画の作り自体がつまらなかったら? と、そこは巨匠“リドリー・スコット”の名前をを信じるしかない。 そして見た感想。 やっぱり128分は長めに感じました。 じゃあ退屈で仕方ない128分なのか? となるとそんな事は一切無いのですが、ストーリー上の緩急、特に“急”の部分の出来が高い分、“緩”の部分の描写が邪魔に思えてきてしまう。 そうなると、ストーリーを追いかけたい手前としては、どうしても“緩”の部分でストーリーが毎度一時停止してしまって居るように思え、結果尺が長く感じてしまうのだ。 そして、そんな事も含め思ってしまうのが、この映画ってナニ? と言うことだろうか? 誰に向かい、何を発信しようとしたかったのか? いったい何処の誰の財布から銭を巻き上げたかったのか? が良く分からない映画のように思えました。 128分は確かに退屈せずには過ごせましたし、ツマラナイ映画か? となるとそんな事は無い。じゃあ面白い映画だったか? となると特に面白い映画だったとも思えない。 では、見所は何処だろう? “レオナルド・ディカプリオ”と“ラッセル・クロウ”の競演か、だが、それだけで有意義な128分は過ごせるだろうか? つまりドンパチが激しい戦意高揚的アクション映画でも無ければ、“007”のような奇想天外スパイ映画でも無く、“トム・クランシー”が描くようなハイテク諜報映画でも無い。 良く言えば地に足が着いた…と表現できるのでしょうが、悪く言ってしまえば、かなり小粒な感じの映画…となるのでしょうか? 主演が“レオナルド・ディカプリオ”と“ラッセル・クロウ”では無かったら、この映画の内容自体に目を向ける物が居るのか?そんな風にさえ思えてしまいました。 そして、最終的に感じた事は、この映画ファンタジーとして作られているのでは? と思う部分でした。 何処となく『ラストサムライ』的な部分がある様に思えるのです。 対象に肉薄しつつ、常に危険と隣り合わせの場所で諜報活動をする“レオナルド・ディカプリオ”演じる主人公“フェリス”と危険から遠く離れた場所で、冷酷を通り越した視点―――現地で動く諜報員を盤面の上の駒と同然の物として扱う“ラッセル・クロウ”演じる“ホフマン”。 この二人の温度差、支配される世界を対比すると、自らの存在をアメリカと称し、情報を戦力とする“ホフマン”の姿に対すれば中東社会で信用と信頼を持って力とする“フェリス”の姿現実社会から離れたファンタジーのような存在で、この対比が“日本=サムライの国”としてファンタジー描写した『ラストサムライ』を彷彿とさせてしまうのだ。 そう思うとこの映画、何かに理由をつけて苦境からの現実逃避を促しただけの映画ではないのか? なんて思えてくるのです。 うん、まぁそんな風に思ったのは自分だけなんでしょうけど。 |
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