スピードレーサー

 『スピードレーサー』を見た。
  
 7月6日日曜、先週見送る事となった『ミラクル7号』が見たい気も有ったのだが、結果的に『スピードレーサー』を見る事となった。
 ブログのレポートを見ると、“スピードレーサー”と言うワードでこのブログにたどり着いた人がチラホラと見受けられ、コレは早いトコなんか書いて置かなければ!! と思ったのが今回『スピードレーサー』を優先させた理由になるのか。
 まぁ、自分の記事は一般的な参考としての利用価値と言う物はのは、『奇跡のシンフォニー』に対する一般的な見解が自分のソレと大幅に食い違っていた・・・部分を鑑みるにどうなんでしょう・・・? といった所なのですが。

 さて、以前の記事にて『スピードレーサー』のあのトレイラーの映像は劇中のものか否か? なんて記した事がありましたが、結果から言えば、まんま劇中の映像だったので驚いた!! と言うか困った!!
 (正確には、まんま同じ・・・というワケではないかも知れない。思い違いでなければトレイラーと本編では若干パーティクルのパターンが違った? ような気がする。 
 トレイラーでは砂漠を疾走するシーンの砂煙のパターンがどれも同じ形状に見えたのだが・・・本編ではソレが感じられなかった・・・? だとしてもリアルシミュレートの結果産み出された形状とも見えずCG、CGした形状・・・と言うのは変わりがなかった)

 あの映像で映画、しかもソレが135分である。困るよ。
 何が困るか?

 先進的過ぎるのだ。
 いや、何れは追いて行ける物ならいいかもしれない。が、この映像感覚には何時ぞやでも追て行く事が出来るのだろううか?
 少なくとも自分にはその時は来ないのでは無いのだろうかと思ってしまったのだ。
 まぁ昭和だからね。平成の人ならどうかはまた別の話なんでしょうけど。

 その結果はどうかは別として、日本では鳴り物入りで上陸したにも関わらず、本国ではあまり成績がよくない・・・という結果に成っているようです。

 さて、長々と説明するほどの事では無い極あたりまえのことなんですが・・・。兎に角この映像、困ってしまうわけです。 
  
 人間は目に映る物を見つめているワケでは無い。目から入った映像を脳内に展開し、そこに展開された物を見つめているのである。
 つまり何が言いたいかと言うと、同じTVモニターから入ってくる映像でもゲームと映画では同じように脳内で映像が展開されないのではないか? 
 PCのモニターでもエクセルの表とゲーム画面、2次元エロJPG、3次元エロJPG、映画、エロ動画では、それぞれが同じように脳内で展開されるか?
 さらに言ってしまえば、映画の一場面を映像として見る(TVモニターでもPCでもスクリーンでも)、紙の上の画像として見る、撮影現場でライブで見る、といった場合果たして同じ映像を全く同じように見ることが出来るか? と言うことです。

 ゲーム画面なら能動的に、映画の映像なら受動的に見る。
 今日日3DCGによる奥行きのある画面があたりまえとなってしまったゲームでは、結果的には2Dに吐き出される画面に対し常に奥行きを推察する見方を植え付けられ、逆に実写映画では手前に写るものばかりを印象的に捕らえようとする。

 同じ2次元画面に出力された映像を見るだけの事に関しても住み分けがされているハズなんです。

 コレには当然個人差と言う物が存在してしまうので普遍的な物言いには成らないと思いますが、少なくとも自分ではそうなんです。

 人にとって見るという行為は同時に記憶する、といった行為になると思います。
 だから見る、と言う行為にもイロイロ有ると思うのですが、被写体がリアルな物、映像密度が高い物、情報過多になれば成るほど、脳内に展開される映像にはフィルタリングが強くかかると思うのです。
 人の顔を覚えるときは特徴のある部分だけを覚えたり、空の色なら予め“青”と覚え、例外的な色でも無ければどんな色かとも覚えようともしない・・・と情報を圧縮し、と言うか間引き、思い出すときは間引いた情報に普遍部分の固定観念で肉付けをして再構成・・・展開した気になるといった様相でしょうか。

 何が言いたいか、と言うと、映画を見る際には上記と似ているようでまたちょっと違う見方をしていると言う事です。
 アニメの映像なら、それは画面の隅々までが作られた物なのでそれはスクリーン全体に意味がある、見る(記憶する)の対象になるわけですが、同じ映像でも実写映像ならまた違った物になる。
 画面に役者が二人しか出ていない画面ならせいぜい見るべきは役者の腰上ぐらいが見る(記憶する)の対象となるのか、それもシーンによって異なるわけですが。
 と、言う具合にスクリーンで映画として見る映像でも見方が違うワケです。
 加え、スクリーン外の情報は見えていながら削ぎ落とす。

 で、『スピードレーサー』なんですが、コレがチグハグ。

 極彩色の画面はアニメを意識した物なんでしょう。が、それでいてリアル質感を捨ててはいづ。
 実写映像を見るようにフィルタリングを行おうとしようにも画面隅々まで情報が与えられている、明らかに現実と比べても情報過多にも関わらずそれがドギツイ彩色でどうしても目に入る、その映像を削ぎ落とすことが出来ない。
 コレが全編3DCGだったり、アニメだったり、人形劇だったりすればよかったのですが・・・。
 映像に脳ミソかき回されるような感覚なんでしょうか。
 コレがTVCMサイズだったりミュージッククリップ程度の尺なら見るに耐えるのですが、ほぼ全編なのです。
 “ほぼ”と言うのは人と人の対話シーン、室内で行われるシーンに限っては普通の映像オーソッドックスな映像のです。

 勿論、コレにも意味があるのかも知れませんが。

 つまり、100%作れた画面と実写撮影で作られた画面(コレも極薄い画面になるように100%加工されてはいるのですが)と映像が均一質ではないのです。
 その所為で全篇をとおして一貫した物の見方が出来ず、その所為で何を見てきたのか記憶できない・・・というか、何が一番の見せ場っだったのか? 何処が谷で何処が山だったのかハッキリその点を主張できない状況になってしまっていると言う事でしょうか。

 おおまかなストリーは以前の記事で記した“タラデガ・ナイト”“ハービー 機械じかけのキューピット”のようなレース(この2タイトルのばあいはNASCAR)を舞台にした家族劇。

 そして見所はレースシーンなのですが、コレも以前記した通り“フルCGでリアル世界を描かれても感動は無い”に習い面白い、と思えるシーンはありませんでした。
 実際にカースタントを行った上で作られた映像なら大興奮。全編手書きの2Dアニメなら“スゲー!!”の一言なんですが・・・。

 3DCGで時速650kmの世界を描かれても・・・ブルーバック合成の役者達の演技は650kmの演技に遥かに到達していないのです。

 レース物、実写物としてこの映画を捉えてしまったら楽しむ事は出来ません。

 家族向けアニメ映画として捉える姿勢があれば楽しめる作品ではあると思います。

 でも、実際子供が見て楽しいか・・・? となると一概にそうとは言えないのが厳しい所でしょうか・・・。
 
 レースシーンはシークエンスが複雑過ぎて理解し難く、そして勝負の決め所が見えてこない・・・。

 見るものを楽しませる工夫はあらゆる所でされているのですが。

 全てがカラ騒ぎ・・・に見えたのは心に寛容さが足りなかった自分の所為かな。

画像


 アニメ原作に対するオマージュには思わずニヤッとしてしまう部分があったり(分かりやすいしね)。
 
 あとレーサーXはかっこよかったです。吹き替え版は愛川欽也だったのかな? 見たのは字幕版だったので・・・。

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この記事へのコメント

2008年07月09日 16:39
”アニメ映画として捉える姿勢”に賛成です。40年前のセル画アニメを現在のCG技術で作りなおした。たまたま”人”についてのみ実写で利用した。と捉えています。
 なお、息子は大変気に入った(カーズと同じ類のものと捉えています)ので、子供受けは良いのではないでしょうか。

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