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zoom RSS ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

<<   作成日時 : 2009/07/04 23:53   >>

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『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を見た。

 当初は見る予定は無かった物なのだが…、他に見るものが無かったのだ。いや、ソレとは別に見たいと思った理由もある。

  そもそも、何故、当初見る予定が無かったのか?

 それは前作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を見ていないからだ。

 では何故『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を見ていないのか? 

 となれば、それは見る必要を感じなかったからだ。

 “新世紀エヴァンゲリオン”の劇場版映画なら『シト新生』『Air/まごころを、君に』を見ている。これ以上なんで“新世紀エヴァンゲリオン”を劇場で見なければならないのさ。

 いや、今度の“エヴァンゲリオン(ヱヴァンゲリヲン)”は前作とは 違う結果になる…“大団円的”な最後を迎える―――との話も聞いてはいたのだが…。

 つまりソレは自分が劇場で付き合った4時間(程)を完全否定すると言うことですか?
 
 そして、イザ蓋を開けてみれば(当時は見ていないけど)、実際のところは単なる“ディレクターズカット版”程度の新作カットの追加、編集程度の物…というのが当時の感触だった。

 つまりは、“リメイク”にも程遠い内容のものだったらしい・・・。

 近年では(“ティム・バートン”版の)『バットマン』のリメイク、『バットマン ビギンズ』(のシリーズ2作目『ダークナイト』)のヒットなんて事もあり、過去“名作”の評価を得たタイトルを当世に合った物に変化させながら後世に伝えるための手法―――としての“リメイク”ならばそのタイトルの存在の意義になんら疑問(文句をつける)点は存在しないのだが…。
 
 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』に関しては、そのような意義のある存在の物には至っていなかったように感じたのだ。

 その内容は単なる焼き直しレベル―――それが当時『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』に関して抱いた感覚で、上記したとおり、なんでそんな映画を見るために時間を取らなくては成らないのか? そんな映画と(約)2時間付き合わなければ成らないのか。

 その思いで前作、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』は見なかったのです。

 が、まあね、最初に記しましたが『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』は見たわけです。

 新キャラの“メガネ”とかね、異形のエヴァ(ヱヴァ?)(仮設5号機)とかを、先ず見せ付けられちゃうとね、今回ばっかりは見て置かないといけないのでは?

 なんて不覚にも思ってしまったのですよ。

 でも、上記のとおり『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』は見てい無い。

 どうしましょ?

 どうせ、焼き直し総集編みたいなモンだろうし、ワザワザ見て置かなくても良いのでは? ほっときや“金曜ロードショー”でやるんだし、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』で腑に落ちない所とか、分らない所があっても後から確認できる機会がある訳だし…。
 (※すいません、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破を見たのは6月28日でした)


 でも、以前の記事(『スタートレック』)でも記した事でもありますが、同じ入場料払って入った劇場で周囲の人間よりも確実に自分は楽しめていない…なんて状況に置かれるのは嫌なわけですよ。

 あ〜もう!! ヨドバシのワゴンに入っている間にとっと(『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』の)DVD購入しときゃあよかったよ!!

 で、結局DVDは(ポイントカードに蓄積されたポイントを使用して)購入(『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の入場券を買った後に)、そして『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』をみ終わったのは『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の上映が始まる40分前。

 付け焼刃な知識ではあるが…と言うか、その内容が想像以上に単なる総集編で驚いたりもしたものですが…入手。劇場に足を運びました。



そして結果…となると。

 “評価”なんて価値判断基準の言葉を用いて、このタイトルを論ずれば、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』は多分、映画としては評価なんて出来た物になっていません。
 
 多分ピンの映画として評価を下すとすれば、極論ではあるかもしれないが、その評価は最低の物となるでしょう。

 何故なら、劇場と言う有料一般公開の場(見る見ない、の選択は見る者の任意)ではあるが“一般公開の場”で、その内容といえば恐ろしく一般性を欠いている物に成っているからです。
 この一般性を欠く、と言う部分に関しては説明の必要性は無いでしょう。

 (いや、人によっては“エヴァンゲリオン”は十二分に一般性のあるタイトルである、という見解をもっているのかもしれない。が、それはあまりも視野の狭い見解になるでしょう。
 1996年に放送の終了したアニメで、もはや13年の時間の経過があれば、スクリーンなり、TVなりから最適な距離を取って物を見る目が備えているのが一般的だろうから…、そもそもそんな事を唱える人すら居ないのかもしれないんですけどね)

 さて、自分は上記したとおり、劇場用2タイトルを劇場のスクリーンで見たし、LDで全話数を揃えた、TVオンエア当時は完全リアルタイムではない物の(火曜の夕方←でしたっけ? に家のTVの前に鎮座増します事なんて有り得なかったワケです。ただ仕事柄、同業他社ではその時間、会社のTVの前に社員が集って視聴…なんて所もあぅたりもした訳なんですが)、オンエアされたその日の内には見ていた物なので、今回のタイトルい関しては、何等ストレスを感じる事無く見ることが出来たのですが…。

 コレが少なからずとも“エヴァンゲリオン”に関する知識が有ったから、その内容について行けた物の、その知識が無かったらどうだったのだろうか? と考えれば、このタイトルは不親切極まりなく、この部分に関しての全く持って思慮に欠けるのです。

 そもそも“エヴァンゲリオン”なんてタイトルを適切に噛み砕くのにはどれだけの予備知識が必要な物か?

 同様、予備知識が必要(なのかもしれない)、まだ“士郎正宗”よりも“押井守”の方が知名度が高かった(?)時期に公開された『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』なんかではパンフと一緒に『攻殻機動隊』についての設定が詰まった小冊子が配られたモンです(有料だったけ? 覚えていない、ってもう14年前の話だよ!!)。
 コレが映画を見終わった後に読んで見ると…もうナニカラナニマデ事の顛末全部が書いてあるというシロモノだったわけですが…。

 ソレは流石にやりすぎだとしても、ソレぐらいの思慮は何処かに欲しかった所なのです。

 通常より高めのパンフレットには、“映画を見終わった後に開け”なんて封がされていたりするしね。
 
 通常のパンフより値段が高い分、初めて見る人のためのイントロダクションを充実させるとかさ、やるべき事はあるんじゃないの? 今だったらパンフにDVD付けといてもいいくらいじゃないの?
 そしてなんでデカデカと広告が掲載されたパンフを通常のパンフより高い値段で捌こうとするのかね?

 いや、まぁ13年前とは大違いですから、情報が、知識が欲しければ自分でネットで調べやがれ・・・と言うスタンスは時世にあった物なのかもしれませんが、やはりピンで楽しめない映画は不親切なのです。

 そして不親切…以上に感じた事がファンの上に胡坐かいてんじゃねえの? と感じずには居られない程の駆け足の展開(ホントに全4部構成? 3部で終わっちまうんじゃないの? なんて思ってしまうほど)、一度通ったストーリーを再度語る…と言うよりも、何処に栞を挟んでいたのか紹介する程度のあっけない物に感じる…いや、ココが一番不親切に感じたのか?

 要は駆け足過ぎで説明不足で、どうにもストーリー、物事の流れが自然に感じられないのです。一度ストーリーを追った事がある者には説明不要ではある部分のだが…、やはり、一本の映画として見た時には、物事流れを不自然に描写する…と言うのは良い物としての評価を受ける物では無いでしょう。
 “加持リョウジ”が登場4カット目(正確な数字じゃありません)には既に以前からレギュラーで〜す、的な面を下げて周囲と打ち解けていたり、TV版の再現のため…なんでしょうけど“トウジ”と“ケンスケ”がエヴァ2号機の回収の現場に居合わせる描写…エヴァって一般公開の許可された存在でしたっけ?

 と、前作を見た者でなければ納得の行きにくい部分をどうしても感じてしまうのです…。

 一本の映画…と思っていたら、その内容はTVで放送済みの話の総集編、それも途中から途中まで…となれば酷い話と感じるものでしょう?

 
 じゃぁ、“新世紀エヴァンゲリオン”に関する知識を少しでも(?上記した物ぐらい)持った者(自分)が見た場合はどうだったのか…? と言えば…。

 楽しめました。

 エヴァンゲリオン仮設5号機の登場から始まる冒頭…なんてのはどうでもよく、その後に描かれる平穏な日常の描写の中に突如“使徒”が登場する―――そのサマが凄く良いのです。
(そして、その後に展開されるアクション!! “使徒”を大フカン、大アオリから捉えた戦闘の描写!! 思えば“新世紀エヴァンゲリオン”のシリーズでココまで“使徒”の巨大感をあらわにした映像は無かったのでは!?)


 劇場でスクリーンを目にする感覚から、一気に茶の間のTVの間に座り、TVを点けたら毎度見ている連続物ドラマが丁度始まる所だった―――的な感覚?

 ホント、一気にああエヴァ、エヴァ…と“葛城ミサト ”が予告で「サービス、サービス」なんて言っていた頃合に一気に引き戻されるんですよ。 


 でもネぇ…、やっぱコレは一般的な映画を見る時に感じる“楽しい”とは随分違うもんなんですよねぇ。


 何たって、前作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』は“映画として”見ていませんから、そうなると13年ぶりの“新世紀エヴァンゲリオン”ですから、それが当時と相も変わらぬ様相で(実は劣化している部分もありますが)スクリーンの中にいるんですから。

 もう、この楽しさったら“全編ギャグ”と称してもいいんじゃないんですかね?

 もう“碇ゲンドウ ”と“冬月コウゾウ”が二人揃って画面の中に居るだけで笑いそうになるぐらいなんですから、ああ、また表層だけの思わせぶりな会話してるよ…。どうせちゃんと、広げた風呂敷を閉じる事も無いんでしょ…、なんだよ、結果からして見ればやっぱり“マダオ”なんじゃないか…とか、ああ、ここであのシーンを持ってくるのね…、いやぁそこまでして再現する程の事なんですか?“銀魂”でよくある尺稼ぎみたいなもんだとばっかり思っていましたよ…なんて、どうにも穿った笑いばっかりなんですけどね。


 いや、でも当時の物がまんま動いているのは何故か見ていて楽しかったです。



 勿論、一歩踏み込めば当時のまんま…では無い部分が出てくるんですけどね。

 それが今回『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を見ようと決めた理由なんです。

 前作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』に比べ、何が変わったか?

 “使徒”のデザインが変わったとか、ストーリーの積み重なり方が違うとか、新キャラが登場するとかイロイロありますが、なんと言っても小さな変化ながら大きく変わったのがキャラクターでしょう。

 今タイトルから“惣流・アスカ・ラングレー”(式波・アスカ・ラングレー)が登場するワケなんですが1996年当時には“ツンデレ”なんて言葉は有りませんでしたからネェ…その言葉に毒されたのか、随分分りやすいキャラクターになっていたり(悲しいかな、“デレ”部分が死亡フラグに←死んでねぇけど、繋がってゆくんですけどね)、TV版放映時には感じる事が無かった(?)昭和臭(80s臭?)がプンプンと匂いだって居るのが珍妙なのです(指先が絆創膏だらけのヒロインの図…とかね、“アスカ”が戦闘中に“えこひいき”“ななひかり”なんて勝手に“碇シンジ”や“綾波レイ”に付けたあだ名で呼吸を取る図とかがですね)。
 1996年当時、キャラクター描写の先端を行っていたタイトルとは思えない程、今回のタイトルで描かれるキャラクター像はベタッとしているのです。

 その様相は、なんか“新世紀エヴァンゲリオン”を見ている様とは明らかに違い、そして『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』なんて公式の劇場版映画を見ている感覚とも違う。

 なんか力の入ったアンソロジーの一編を見ている感覚なのです。

 それは、つまり―――面白いんだけど、一歩踏み込んで作中に踏み込む事を躊躇してしまうコト―――になるんでしょうか?

 そう感じてしまうと、最後の最後に登場するキーパーソン(一応伏せておきますけど←バレバレですけど)の一言や、上記もしました、“昭和臭”漂うヒロイン達と明らかに違う新う、まるで別世界の住人的存在=今日日のアニメに登場しそうな当風の性格付けの新(メガネ)キャラクター(?)の描写などからどうにも勝手な事を想像してしまうものです。

 ―――決して思ったとおりのオチになんてならないで。

 と、まぁこの部分、そんなオチに至るのが良いのか悪いのかは見た人の判断なんですけどね。

画像
 

 上記で“実は劣化している部分〜”と指摘しているのは、あらゆるところに3DCGが利用されている部分になります。

 コレはその3DCGパートがヘボイ、下手だ、だから“劣化”している―――と言っているのではなく、3DCGの使い方が下手、ヘボイ、1996年版の(3DCGが使用されていなかった?)TV、劇場映画版と比較して“劣化”しているとしか称しようが無いのです。

 3DCGの使い方が下手、というのは、もっとアアすればコーすれば、もっと良くなったものを…的な技法の問題ではなく、単純に…。

 なんでその描写を3DCGを用いて表現する?
 
 手書きでいいじゃないですか。
 それって単にコスト低減のための手法として3DCGを使っているだけですよね? オマケにトゥーンシェード用いてはいますけど、あからさまに異質3DCGであることがバレていますよね?

 それはつまり、手書きの絵の代用としては失敗している…ということですよね。

 何故トゥーンシェードを用いても他の手書きのアニメ絵と比較して浮いてしまうのか? バレてしまうのか? と言えば、それは単純。手書きのアニメの代用として用いられた3DCGは、手書きのアニメ絵と比べて劣っているからです(コレはモデリングがドーノ、コーノといっているんでは無いのです)。
 だいたい、3DCGをトゥーンシェードにしてアニメ絵の代用として得られる効果といえば何か? と考えれば、パースが正確な事と、(ラインの多いメカ等の作画を考えた場合の)生産コストの低減化…ぐらいなんじゃないんでしょうか。

 そして、実写映像なら兎も角、手書きのアニメ映像においては、実は正確なパースなんて特に必要とされているワケではないのです。

 日本画は? “平野耕太”、“山崎あつし(故)”の絵は駄目なのか? 絵として劣化したものなのか? となれば―――そうとはならない。

 確かに、正確なパース、デッサンで描かれた絵は美しい…物なのかもしれませんが、絵として見た場合、デッサン、パースが正しい絵が最上のものか? となれば、そうでは無い事は周知でしょう。

 第一、パース等の正確さを求めた結果画面の一部に“3DCG”で作られた物を配置するなら、その画面全てが3DCGで作られた物、あるいは正確なパース、デッサンで描かれた物でなければその意味は無いのです。

 そうなると『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』でそこかしこに用いられた3DCGが事は“絵”としての最上を目指した結果では無く単に製造コストの低減として使用された物である事がアリアリと伝わってくるのです。

 なんたって主人公達、人物、キャラクターが手書きであり、独特のデッサンの上に成り立っている物なんですから、その世界観に3DCGを用いた描写を持ち込む事は、その部分の絵作りを放棄している事になるんじゃないんですか?

 そして3DCGを使用した事により本当に劣化している部分も存在します。
 全く隊列を崩さないトラック群の移動シーンとか…、いや、中の人(トラックの運転手)が訓練されているから隊列が崩れないのさ…なんて描写には程遠く見えず、どう見ても、一台のトラックモデルにアニメーションを付けた後タイムラインをずらして複数コピーしただけ…、いや、AF(アフターエフェクトのような映像編集ツール)で二次元的にコピーしただけかも…なんて手抜きの手法が見えてくる映像はダメでしょう。 
 そして、今タイトルでは、メカ類の描画だけではなく、その手法がキャラクターにも適用されているのです。

 遠景のキャラクターだけだけど…(碇ゲンドウと冬月コウゾウも3DCGになっていたかも)。
 ですが、それが(明らかに、他の手書きアニメのキャラクターと違う動きの仕方をする)下手アニメでウネウニョと動く姿を見せ付けられれば…それなら止め絵で良かったんじゃないの、何処に動かす必要があったの? TV画面サイズでは無く、劇場の大スクリーンに映し出される事をちゃんと前提に考えてたの? とこの描写には辟易。

  前作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』に関しても、初号機発進のシークエンスでやたらと3DCGが使用されたシーンがタラタラと沢山出てきて辟易とした物ですが…。
 これってこの部分、完全に目的と手段が入れ替わっているようにしか捉えられようが無いのですけど…。
 それとも未だに“3DCG”という手法が斬新、映像の先端を行く物…なんて認識があるのでしょうか?

 いや、まさか、それは無いと思いますが…だとしても、3DCGを使用するならちゃんと使用して欲しいモンです。

 極端な意見かもしれませんが、“2Dアニメーター”と“3DCGアニメーター”を比較した場合、(少なくとも二本の土壌では)“アニメート能力”に関しては“2Dアニメーター”の方がその力量において“3DCGアニメーター”に勝るのは明白(モーションキャプチャーすれば“正しい”モーションの拾得も可能ですが、“正しい”=アニメ、映像としては“正解”とはならないのです)。
 加え、表現力に関しては3DCGよりも手書きの方が(実写映像を除く、少なくともアニメ畑では)“PIXER”でもなきゃ、勝るのです(そして目指す映像に到達する手段として“手書き”の方が正しい選択ならたとえ“PIXER”でも3DCGを手法として取り入れる必要はないのです)。

 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』に関して見れば、全般的に“3DCG”を表現の手法として用いなければならない部分なんて何処にもありませんでしたよ・・・。
 第一、1996年当時の“新世紀エヴァンゲリオン”に“3DCG”を用いた映像なんてありましたか(あったらゴメン)? “3DCG”を用いられずに作られた映像を“3DCG”を用いてリメイク…となれば、それはもうその時点で劣化確定です。

 ガンダムが大地に立つ…今見ると(左右のダクトの数が違ったりと)酷い作画の映像ですが、アレがパース・デッサン正確無比の無機質3DCGで作られたカットだったら(1979年放送)その後30年語り続けられるタイトルになっていましたか? …いや、コリャちょっと無理があるか。

 でも“さらば愛しきルパンよ”のリメイクで手書きだった“74式戦車”を“3DCG”で描かれたカクカクの“90式戦車”に差し替え…なんて事があったりしたら興醒めする事は確実。


 ああ、クドクドと長ったらしくなってしいましたが『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』、DVDが出たら買いますよ。時間が有り余っていたら、再度劇場に足を運んで見るってのもイイカモ。

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